12月9日 水曜日
モレリア最後の日。
朝ごはんをオーナーご夫妻と一緒に。
出来立てのフリホーレスに、昨日のチラキレスをのせて。
Arrayanesのジュース。
このフルーツ、小さくて酸味が強めのグアバといったお味。食感も種の多さも似ています。
ジュースにすると、皮の赤が深い色でキレイ。
酸味がフランボワーズにも似ているような。
おいし~。
フェリシアーノはお好み焼きに挑戦。おいしくできました。
今さらながら、行っていなかった
Palacio de Gobierno(州庁舎・・・と訳すとダサい・・・。)へ。
教員養成系のNormalistaの抗議真っ最中。
道路封鎖してた人たちが逮捕されたからのようです。
庁舎に入るにはちゃんと名前や出身地を記入しなければいけないのですが、
中に観光案内所があるんですね~。
ここには、ミチョアカン、パツクアロ出身の芸術家Alfredo Zalceアルフレッド・サルセの壁画があるとのこと。
いきなり、これ。
おおおおミゲル・イダルゴ神父
ホセ・マリア・モレロス
・・・・
下に描かれているのは、スペイン軍がたてこもっていたグアナファトのアロンディガ・デ・グラナディタの扉に火を放って開け、活躍したと言われるピピラ。たいまつを持っています。
これは独立戦争を表す中央階段の壁画。
こちらは天井。
教師?みたいな人が、人々に教えているそうです。
階段左上。
ベニート・フアレス大統領が紙を突き付けています。
帝政の終わりを表したもの。
��ナポレオン3世によるフランスの干渉で、皇帝マキシミリアーノの帝政がわずかの間しかれていた。)
階段右上。
左・・・先住民が虐げられる時代の終わり
右・・・赤ちゃんはNacimiento(誕生)を表し、未来を表現。
階段左下
ん~なんでしょ。いろんな立場の人が手を取り合っている気がするけど。
階段右下。
血をインクにしてタイプをしている図らしい。
厳しい教育訓練がどうこうっていってました。
2階の次の壁画はモレリアの歴史。
1531年、インディヘナPirindasの村Guayangaderoに2人のフランシスコ会修道士がやってきた。
Juan de San MiguelとAntonio de Lisboa。
キリスト教化をし、San Francisco教会とSan Miguel学校を立ち上げた。
1541年5月18日
副王Antonio de Mendozaが、Guayangaderoの丘にVilladolidの町を建設。
1576年
上:ミチョアカンの州都がパツクアロからVilladolidに移される。
下:サン・ニコラス学校のパツクアロからの移設(今のサン・ニコラス・ミチョアカン大学)
1809年 Villadolidの陰謀がAgustín Iturbideによって告発され、逮捕者が出る。
1810年10月19日
ミゲル・イダルゴ神父
「この町で、アメリカ大陸で初めて奴隷の廃止を・・・」
1828年
VilladolidからMoreliaに改称(José María Morelosにちなんで)
1847年のモレリア
Melchor Ocampoが州知事
といったのが
つづき
モレリアの風景
建物かっこいい
奥にカテドラルが。
反対側の壁画は
独立後の暮らしのようです。
もしスペイン語が母語なら、この壁画をみながらすーっと自然にこの歴史を学べるんやろなー。
��これ書くだけでも・・・必死・・・笑)
「誰もが見ることができる」というのが壁画のいいところじゃないかなぁ~。いいなー。
さて、ここモレリアともお別れです。
あ、これ、サモラで買ったお菓子Galleta。底にクッキーがついていますが、ほとんど牛乳のお菓子でシナモン風味です。甘い・・・。
曇りですが、途中通ったクイツェオ湖
これはユリリア付近。
グアナファトに帰ってきました!!!
パン
これはセマ
久々のここのタマル
タコ
ムフフ。
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